最近のトラックバック

無料ブログはココログ

大切な時間

  • ほとんど誰も
    一緒に歩いた道

« 退院 | トップページ | それでも »

2006/06/14

障害受容

Rimg2956 私たちの仕事でよく出会う言葉の中に「障害受容」と言うのがあります。
僕はこの言葉が大嫌いです。
この言葉は、障害を持たれた方が、いつまでも、その障害にこだわって生きていくより障害がある自分を一つの個性として受容してより人生を積極的に生きていっていただきたいという思想から生まれたものです。
例えば歩けそうに無い人が頑張って歩きたいと願うこと。それで、一生懸命病院に行って治療を受けようとすると、「障害受容ができてない」と判断するわけですね。で、受容を進めるべく何らかの手段をとろうとすることになります。

だけど、本当に受容なんてできるのでしょうか?
流れゆく時間の中で、常に自分自身を受容して生きていくこと。
僕はそんなことはできそうにないですね。
時間が流れれば、環境が変わる。
環境が変わってしまえば新しい苦しみがきっと生まれる。
その苦しみをその時折に、どうしたら解決していけるのかを一緒に考えて行くことのできれば、それでいいのじゃないかなぁ?
いま、歩けないことを納得して(あるいは諦め)受容したとしても、またしばらくして、動きたくなることって当然あるでしょ?人の心は安定しているものだとは思いませんよね。

それと、もう一つ危険なのは、例えば一人の治療者が「歩けないけど、歩くことにこだわりすぎている」と感じて障害受容の問題だと判断するようなとき。そのとき、考えなくてはならないことは、ほかの治療者ならば歩いてもらうことができたかもしれないと言うこと。
そうすると、歩くことにこだわっていると判断した治療者は間違いを犯していることになります。
歩くことにこだわっている患者さんの受容が悪かったのではなくて、歩かせる手段を持たない治療者が、自分の低い能力を棚に上げるために、知識と技術の乏しさを「障害受容」という言葉に押しつけてしまっていることになります。

先週の日曜日に講義に行って、同職種の人たちとディスカッションをしたときに、受容の話が出ました。
障害受容という言葉がいかに危険かを説明したのも、疲れた原因。

さて、また講義の準備をしなくては・・・・

« 退院 | トップページ | それでも »

仕事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 障害受容:

« 退院 | トップページ | それでも »