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2006/11/11

ケンスケ

Scan10381中学3年生。
あれは、卒業間近の春。晴れた日で暖かな日の光が窓から差し込むのどかな日。午前中の最後の授業だったと記憶している。

国語の授業で、何かの物語をみんなで読んでいた。
先生が、順番に人を指名して、指名された生徒は順々に物語を読み進めていく。そのスピードは少し遅かった。だから僕は先に読みふけっていたんだ。

その物語の主人公はケンスケという名前だった。
どんな内容だったのかは今となっては忘れてしまった。
ただ、そのケンスケは物語の最後の方で、死んでしまう。

死んでしまったのだ。

その物語は少し悲しく、読んでいたら何となく僕を沈んだ気持ちにさせていた。

当時、同じクラスにケンスケという名前のやつがいた。
仲が良いわけでも悪いわけでもない。
ちょっと優等生タイプの男で、背も高く、少しかっこよかった。ただ、まじめな性格で、時折からかわれていた。
いじめ。たぶんそんなものでは無かったのだと思う。ただ、当事者にならないと判らないけど・・・・

物語が読みすすみ、ケンスケが死ぬ場面を他の生徒がゆっくりと読んでいる。
クラスの何処かで、クスクスと忍び笑いの声が広がる。
僕も、笑いの意味を感じ取り、ケンスケに悪いという気持ちもあったが、少し笑った様な気がする。

そのとき、先生は急に持っていた教科書を机にたたきつけた。

「何がおかしい!」

「人が死ぬような場面を読んでいて笑うような人間に教育してきたつもりはない!不愉快だ!」

と言い、授業時間の半分ぐらいを残してクラスを去ってしまった。

その後どうしたのかは憶えていない。
何かしら気まずい空気が流れていたように思う。

あの先生が、何を伝えたかったのか。
それは何となく解った。

中学を卒業してずいぶんと時間がたった。

今でも時折思い出す。

先生が伝えたかったこと、それは今でも僕の中にひっそりと息づいている。
先生が願うように、優しい人間に育ったかどうかはあまり自信がないけれど。

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コメント

でもこの頃の先生はそこまで教育というものに対し
一生懸命ではなくなってきているような・・・
こないだも友人と話していましたが「ゆとり教育」の弊害
かなりあちこちにあるようですよね困ったことに。
誰のためのゆとりなのか焦点がボケていてお上が何も
考えなしに作った法案によって家庭と子供はヒィヒィと…

でもいい先生でしたね、確かに本気で怒って怒鳴って一生懸命
そういう品格と威厳ある先生は昔は多かったような気はします

>偏遊人さん
結局、教師からあらゆる力を奪ってきましたからね。
ゆとり教育も、学校で教えきれなくなる内容は生徒を塾へと向かわせ学校の教師に無力感を植え付けていったのだろうと想像しています。
学生の時間にゆとりをつくったため、受験勉強以外の教育も困難になっていったのでしょう。

最近の教育関連の報道を聴いていると、昔のことをよく思い出します。

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