こころが
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なんだろうと思って出てみると、そのときの同級生であった人が亡くなり、葬儀が行われるとのこと。
「連絡をしとるんやけど、かれ、誰が仲良かったっけなぁ。しっとる?」
と聞かれるが、彼が誰と仲良かったのか思いつくことがあまりなかった。もしかすると、僕が比較的よく話していた方なのかもしれない。
彼は、そのときの同級生のひとりと結婚していた。しばらくの間は年賀状のやりとりがあった。
しかし、その結婚はうまくいかず、子供がひとりで来ていたものの別れるようになったようで、ある時からぷつりと年賀状も来なくなっていた。
それからずいぶんと時間がたち、再び、彼の名前を聞いて彼のことを思い出したのが、昨日の出来事だった。
しばらくすると、そのときの友人から電話がかかってきた。
亡くなった彼のことを話した。友人も同じような状況らしく、結局、弔電を共に打つことにして話は終わった。
彼の生は楽しかっただろうか?
ふとそんなことを考えていた。
彼の死は、わずかな哀しみと懐かしい友人の電話番号を僕に残していった。
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このブログ、とうとう記事数が1000になりました。
振り返って記事を見てみると、その時折に感じたことを鮮明に思い出すことができます。
映像が記憶をこんなにも思い出しやすくするとは・・・
元々は、このTaron35を使ってみたい、どうせ写真を撮るならブログをつくろうという、簡単な発想からつくられたブログです。
あまり考えずに、空いた時間にできるようにやるようなやり方が性に合っているのか、いやになることもなく続けることができています。
見に来てくれる人がいるというのも、続けるための大きな力になりました。
どうもありがとうございます。
これからもたぶん続きますので、気が向いたら遊びに来てやってください。
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腹の立つ記事を読んでしまいました。
「障害があっても暮らしているまちづくりこそがリハビリテーション。機能回復訓練はそのごく一部でしかない」。
との発言が掲載されています。
確かにそうかもしれません。まちづくりが重要である事に対して否定はしません。
だけど、こういう発言をする人は、機能回復に対する知識と技術を十分に持っている方でしょうか?
それを持っている人がこの発言をするのであれば、この言葉にも重みがあるでしょう。
しかし、何も学ぶことができなかった人や、何も学ぶことをしようとしない人は、このような発言を良くされます。小さな部分だから、まなぶ価値さえ無いかのように。
この発言をした人も、何度かお話をしたことがあるのですが・・・
あなたのみた葡萄(機能回復への治療に対する挑戦)は、食べられることもなく酸っぱいと決めつけられ、公的なメディアに載ってしまいました。
リハビリテーション医療の「一部」でさえ学び取ろうとしない人に、全体を語ることが許されるのでしょうか?
彼は、この罪の重さに気づいてくれるのでしょうか?
彼に問いたい。
あなたが酸っぱいといった葡萄。
あなたは、本当にそれを口にしたことがあるのか?
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