良いお年を
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夢の中で、僕は一羽の黒い鳶を飼っていた。
何かの競技に出るらしく、高い山の上で自分の順番がくるのを待っていたのだ。
空は青く、風が心地よい音を立てて吹いていた。
今日は、きっと良い上昇気流が生まれているはずだという確信がある。
程なく僕の順番がきた。
崖のそばまで行き、鳶をはなす。鳶は大きな羽を広げ、空気の中をスーッと線を引いていくかのように滑空していく。すぐに上昇気流をつかまえ旋回しながら高度を上げ、僕の後ろに回る。
僕は首を捻り、体を崖の方に向けたままそれを見ている。鳶が僕のそばまで高度を落とし、足を差し出してくる。僕は手を高く伸ばし、その足をつかまえる。鳶の足も僕の手をしっかりと掴んでくる。
「今だ」僕は鳶と共に崖の方に体を投げ出した。
鳶は僕をつかまえたまま滑空し、再び上昇気流をつかまえる。
よほど強い上昇気流なのだろう。一気に高度が上がる。下を見ると地表がどんどん遠くなっていくのが見える。
僕はこの鳶を信頼しているのだろう。ほとんど怖さを感じない。僕自身も上昇気流をうけているのか、自分自身が風に乗っているように体重さえ感じないのだ。
ある程度の高度を撮ると、遥か下方に見える、それでも高い岩の上を目指してものすごい勢いで降下していく。岩の山に近づくと鳶は水平飛行へとうつる。僕は足でその岩のてっぺんを少しだけ踏むようにする。どうやら、この競技はそうやってポイントを取っていくようだ。
何度か同じ事を繰り返し、最後の岩にきた。僕がその高い岩の上に立ち、鳶の足をはなす。鳶は満足げに上昇していく。
その岩は、僕ひとりではとうてい登ったり降りたりできる高さではない。
ひとりになると少し怖さが出てくる。
だけど、鳶がもう一度僕の元に飛んでくる。
最初と同じように鳶の足を掴むと、鳶は再び上昇気流をつかまえ、スタート地点に僕を連れて行ってくれる。
競技が終わった。
誰が勝ったとか、負けたとかは全然気にならない。とても気持ちが良かった感覚だけが僕を支配していた。
そんな夢を見た。
忘れてしまうにはあまりにもったいない夢。

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天下り、馬鹿な言葉・・・。
省庁が「天」
民間が「地」
普通立場が逆でしょ。公僕どもなんだから。
今年も、また厚生労働省が私利私欲のためにうごめく時期になってきた。
相変わらず腹が立つ。
天下りを一切やめるだけで、かなり医療が変わると思うのだが。
彼らが天下る。天下り先はちょっとの間しかつとめることのない無能な金の亡者どもの持つ権力に対して数千万の金を払う。次々とやってくる金の亡者のために準備しなければならない金額は大きなものだろう。
だから、その金額を回収するために商品の単価を上げる。
天下ってきた金の亡者は、うまい汁を吸わせてくれる企業を守るために、かつて在籍していた省の部下を使い、国を挙げてその高価になってしまった商品を購入(あるいは使用)することを決めさせる。
その商品の費用の大半は税金で払うことになる。
結局、彼らの給料だけではなくて天下り先で支払われるばかげた退職金も私たちの財布からとられることになる。
馬鹿な話だなぁ。
国家公務員で給料も一般と比較すれば十分高いのだから。
いったん権力を握ったものは退職後は民間企業へ天下ることは一切許さず、年金だけで盆栽でもいじくっていればいいじゃないか。
年金問題も、結局は公僕どもの無能さ加減を浮き彫りにした事件だった。
血友病患者の事も、私利私欲に目がくらんだ厚生労働省の偉いさんがいかに無能かを証明するには十分すぎる。
給料を支払われているというだけで十分腹立たしいのに、天下りの給料や退職金まで間接的にではあるが面倒を見させられるものの身になって欲しい。
そもそも、天から下ってしまうものは、
悪魔(堕天使)と相場が決まっているじゃないか。
マスコミも悪魔狩りをしてみてはどうか?
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今、年賀状を制作中。
といっても、絵心のない僕はインターネットに活路を見いだそうとしている。
で、干支の画像を探そうとして・・・・検索をする
僕は問いたい。
リンク集のリンク集をつくってどうする?
何時になったら干支の画像にたどり着くのか?
まぁ、そのぐらい書けよといわれたらそれまでですが・・・・(笑)
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新人君、目の前の患者さんを見て、ため息をついている。
ため息をつきたいのはこっちだよと、その先輩が見ている。
先輩の話はこうだ。
「患者さんを見てため息をついていたり、立つ気がないんでしょ?と患者さんに言っているのを見て、もういらいらして・・・」
で、助け船を出すことになった。
患者さんは支えなしに座ることもできずにいる状態。立つことは援助しても難しいとその新人君は言う。
何が問題なの?と問いかけると、失語もあってコミュニケーションがとれない事だという。そもそもの出発点が間違っている。
その場は何とか座ってもらうことができて立つことも初めよりはましになったので一応終わって帰ってもらったのだけれど、印象としてはその場面に於いて問題は患者さん自身というより新人君の方に大きそうだ。
コミュニケーションがとれないのではなくて、新人君がコミュニケーションをとろうとしていないのだ。
コミュニケーションとはどんなものかを考えて見て欲しい。
言葉が通じていてもコミュニケーションが成立しない事なんていくらでもある。
言葉が通じていればコミュニケーションがとれていると思うのは大きな間違いである。
所詮、人間は自分の脳の中でしか他人を理解できない。その人の全ての意図をしる事なんてできないのだ。
だから、人は人のことを知ろうと思う。そこにコミュニケーションが生まれる。
コミュニケーションには、相手のことを理解しようという気持ちが必要なのだ。
相手が、どんな気持ちか?今何をしたいのか?何を訴えたいのか?色々なことをしろうとしない限り、言葉が通じていようといまいとコミュニケーションは成立しない。
そんな当たり前のことを教えないといけないことにずいぶんといらいらした。
日本の文化には、元々それがあったはずだ。言葉にならない「間」。
それを知る人同士を「あ・うんの呼吸」などと表現したりした。
言葉で表せるもの。
言葉で表せないもの。
言葉の”表”に出てくる意味。
言葉の”裏”にある意味。
言葉はないのに伝わっていくもの。
言葉があるのに伝わらないこと。
全てが、その人自身なのだ。
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「おう」
と声をかけてきたのは、スーツにトレンチコートを着て、ネクタイを締めている友人、そう気づくのにわずかに時間がかかる。
髪は短くきれいにセットされている。知的な雰囲気を醸し出す眼鏡、よく整えられたひげを蓄えている彼は、非常にやわらかで紳士的な雰囲気を醸し出していた。
僕といえば、ジーンズにオレンジ色のトレーナー。上に着ているのはラッキーストライクのフライトジャケット。髪は朝起きたままだし、ひげに至ってはただ数日剃っていないだけの無精ひげ。
あまりに違う佇まいに ふと、
同い年のはず・・・だが?
と、思いがよぎる。
それまでお互いの中で経過していた時間が異なりすぎたのだろう。
過ごしてきた人生がそのまま表に現れているような気がして、少し苦笑する。
「久しぶりだな」
少し世間話をして、じゃぁな と立ち去る。
前の日に見た夢が少し頭をよぎった。
彼は、満天の星空の中に大きな飛行船が飛んでいるのを見て、あまりの光景に驚きの声を上げるような夢など見ることはないだろうなどと、くだらないことを考えていた。
未だにそんな夢を見てしまう僕は、彼のような服を着ても彼のように紳士的になることはないだろう。
ほんの少しだけ、人生を考えた瞬間だった。(^^;
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