この空を飛べたら
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1月25日に、Eee PCが発売になります。
個人的に大注目だったりします。
このノートパソコンは、記憶装置にHDではなくてフラッシュメモリーを利用しているところが大注目。
なにやら、起動が早くなりそうでしょ。Windowsの。
事実、1分程度で起動するとの記事も見つけました。
現在、僕はディスクトップの他にモバイルようにノパソを使用しているのですが、これが起動に時間がかかる・・・
これ、本当に困るんです。
昔から、パソコンの主な利用方法としてPIMを使っていました。
古くはMS DOSの時代に遡りますが、OCALというすぐれたPIMがあったんですね。
スケジュールを多面的に検討することのできるものすごく便利なソフトでした。
Windowsの時代になって、OCALはO's Scheduleに姿を変え、現在も開発中だったりします。
スタイルもかなり自由に変更できるし、ToDoの予定も、チェックしない限り毎日毎日移動してくれたり、繰り返しデータの入力も多彩な手段をとることができ、非常に便利でした。
また表示も月表示、週間表示などから、年表示まで可能で、特に年間表示中に期間スケジュールがきちんと出てくるので、大きな予定を見ながら小さな所の予定を詰めていったりするのに非常に便利なソフトです。
が、Windowsになってから、僕にとって唯一の欠点ができちゃったわけです。
「OSの起動に時間がかかりすぎる。」
これは不便です。
ノパソの電源をつけっぱなしにして休止状態にしていると、時間がたてば立つほど不安定で動きがとろくなっていくWindows。
かといって再起動などしたものなら何分後に予定を入力できるやらわからなくなるし。
で、困ったあげくにザウルスSL-C750に手を出したりもしました。
となるとEee PC、XPで1分程度で起動となるとかなり魅力的です。
記憶容量が少ないといわれても、今使っているザウルスに比べたら大きい大きい。
Open Officeでもつっこんで、ちょっとした仕事にも使えるし。
携帯性と起動時間やバッテリー駆動時間などではザウルスに劣りますが、充分実用的にO's Scheduleが利用できるという魅力は大きい・・・・
で、物欲の虜のままに注文しちゃいました。
ちょっと、決断が遅かったので、25日に手に入れるのはむりだろうけれど。
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久しぶりに、アニメ映画を見ました。
レンタルやさんに言ってみたら、パプリカが目にとまり、パッケージを見ているうちに筒井康隆原作だと気づきました。学生時代に一生懸命読みあさっていたあの筒井康隆・・・
面白かったです。
夢と現実が互いにわかりにくく交錯していく様子で、以前「エルム街の悪夢」で感じた足下の不安定さを再びこの作品で味わうことになりました。
台詞も、この作者の印象をそのまま伝えてくるような感じがして、非常に面白かったです。
だけど、アニメとはいえ、よく映画化をしましたね。
夢を題材にした映像、この作品の中で、こんな感じの夢を体験したことがあると感じる場所が結構ありました。
黒澤監督の「夢」も夢を映像化したものでしたね。土俵が違うので比較するわけではありませんが、実際の”夢”のストーリー展開の理不尽さや場面展開を考えれば、パプリカの方に本当の”夢”らしさを感じます。
原作にも興味がわきます。
久しぶりに小説を読んでみようか・・・
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「公務員改革 不祥事に賠償制導入 政府懇方針 退職者の責任追及」
やっと、こんな話題が出てきています。
悪い事したやつは、ちゃんととっちめましょうという内容。
いままで、各省庁のやっている悪いことの尻ぬぐいは、その悪事に気づいていようがいまいが関係なく、国民の税金を使って(使われて)していた。
悪い事をしたやつからもお金を取りましょうと言うことだけど、この調整が難航するらしい。
悪いやつかばってどうするよ。
この改革が成功し、厚生労働省の様々な癒着が無くなることで結果として医療費の削減となり、現場の仕事がやりやすくなることを希望します。
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あさ、病棟から電話があった。
担当していた2ヶ月足らずの赤ちゃんの母親が会いたがっていると。
病室に行ってみると、無言で動かなくなった孫を抱くおばあちゃんと、泣いている母親がいた。
母親は、
「最後に先生にも抱いて欲しいと思って」と
おばあちゃんが、動かなくなった孫をそっと僕に差し出してくる。
できるだけ大切に、ゆっくりと受けとる。
右腕に小さな頭がそっと重さを預けてくる。
まるで寝ているかのような顔は、まぶたがほんの少し開いていたけど、その眼は決して動くことはなかった。
小さな体はまだ温かかったが、それはきっと、ずっと家族が抱いていたからだろう。
この子は、年末、頑張って動いていたのだという。母親が、そのがんばり具合を今度報告しようと思っていたのだと泣きながらはなす。
同じような子供たちが、この子のぶんも元気になるように頑張ってくださいという。
僕は、この小さくて短かった”生”に、きちんと役立てたであろうか?
間違いなくできていたか?
充分に必要なことをしてきたのか?
わずかな間であっても、この子と母親が幸せな時間を感じることができるお手伝いはできていたのか?
小さな顔をのぞき込みながら色々な思いが駆けめぐる。
僕の腕の中には、深い悲しみの重さがあった。
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