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2008/11/21

鏡像

Cnv000038

鏡像は虚像か実像か?

こんな事を考えていて、ふと思った。

人が見ていると思っているものも、結局は眼球のレンズが映し出す光を網膜が受けとり、後頭葉の視覚野で処理されたものを過去の記憶と参照して物体として認識する(感じている)にしかすぎない。

見えている物体が実在すると信じているだけだ。本当に実在しているかどうかを確認するのであれば、例えば触れてみて脳の受けとる情報を増やし、実在するものであるという可能性を高めていく事が必要になる。

例えば、夢を考えてみたらわかりやすいかもしれない。目を閉じているのにもかかわらず、おそらく脳の後頭葉の興奮が、一定の象を知覚させている。それを虚像であったと気づくのは、多くは、目が覚めてからだ。

そこに視覚的に存在するものを、実在すると感じたり虚像だと感じたりすることは日常的によくある事のように思う。

もともと、知覚は安定しているようで、非常に不安定な要素を併せ持っている。その不安定さが、新しい学習を可能にしているような気もする。

そこが、失認と言われる障害を理解しがたくしているのだろうと思う。

身体の内的環境と外的環境の要素の組み合わせによっては、色々な場面で様々な認知のシステムが不安定に絡み合いながらひとつの結論である知覚・認知に結びついているのであって、ひとつの感覚要素で理解しているわけでは無いだろうし、不安定なものであるという認識を接する者たちがもっていないと何かを見落としてしまうのでは無かろうか。

ひとつの物体を認識するシステムとして考えられるものは、

固有受容覚システム
表在覚システム
視覚システム
嗅覚システム
聴覚システム

などがおおざっぱに上げられるのだろうが、状況に応じてオーバーラップしたり、、メインのシステムを切り替えたりしながら知覚にたどり着くのではないか。

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