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大切な時間

  • ほとんど誰も
    一緒に歩いた道

2010/10/30

Laplace's demon

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もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

– 『確率の解析的理論』1812年

フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスがはじめたこの主張。
未来をも見通すとされる知性を人々は「ラプラスの悪魔」と呼ぶ。

しかし、程なく原子の位置と運動量の両方を正確に知ることは原理的(不確定性原理)に不可能であることがわかり、ラプラスの悪魔はいないことが証明された。

現代、医療分野でエビデンスが叫ばれている。それは、リハビリの世界にも入り込んできている。
人の動きは、原子の位置と運動量をはかるより複雑なものであることは、ベルンシュタインが不良設定問題と呼んだ運動制御理解の困難さで解るはずである。
それをあたかも、こうすればこうなるといった指針を出すかのような表現に用いられるエビデンス。

かつて、ウィトゲンシュタインと言う哲学者が、自書「論理哲学論考」にて、以下のように書いている。
「およそ言いうるものは明瞭に言いえ、語りえざるものについては沈黙せねばならぬ。」

今、語りえざるものを、さも解ったように言う輩が増えてはいないか。


「エビデンス」が、現代のラプラスの悪魔に変わろうとしているとすれば、現代医療は何処を目指すことになるのか?

2010/05/24

疲弊

医療は今、疲弊し崩壊に向かいつつある。
好意的に考えれば厚労省は、医療の経済維持のため効率を求め、様々な医療を削減しやすいように細分化し、管理をしてきている。
結果はガソリンに火のついたマッチを近づけたら火がつくのと同じぐらいの確立で、医療のつながりが細分化され、医療者はお互いに何をしてるのか解らない状態に陥るだろう。

批判を覚悟でいうならば医療は効率ではない。

自分のなすべき仕事をしているだけで医療を行っているつもりになっているスタッフが増えれば医療の質は科学の発達と逆行するように低下していくだろう。

医療は疲弊し、誰でも医療を受けれられるが、誰も幸せになれない医療が蔓延していく。

医療が崩壊した国の中で、国民はどんな夢を見るのだろう。

日が落ちれば、空間を闇がつつむ。
光は、月と星が遠くに見えてくるだけ。
希望に手を伸ばそうとしても、見えてくる月と星の光は遠すぎるだろう。


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2009/02/23

帰路

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最近、講習会のお手伝いという形で勉強をさせていただいている。

講習会の終わった後、ひとりの講習生が声をかけてきた。

「よく勉強されていますね。的確な指導でわかりやすかったです。」

こういう評価を直接していただいたのは初めての経験だった。

自分にとっての収穫。

2008/12/19

弱音

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最近、上司の口から漏れるネガティブな言葉。

「周りの人から(リハビリなんて)何をしても、そんなに結果は変わらないって言われるからね」

「なんで結果が出ないのだろうね」

それは、周りの人が言った言葉を借りて出してきた、あなたの本音なのでしょうね。

僕は自分のことをすぐれていると思っているわけではありませんが、少なくとも自分が歩もうとする道を信じています。

何も信じないような人たちに理屈や実践で劣るようなことはないと思っています。

結果が出せないのなら、結果を出すように努力をされたらいかがですか。

患者さんに色々なことを学習してもらおうとするのは、よりアクティブに人生を過ごしていただきたいと思うから。

アクティブさを失ったセラピストは患者さんに何を伝えることができるのですか。

前を向いて歩くことをやめたセラピストが、患者さんにどうやって、前を向いて歩いていくことを教えることができるのでしょうか。

2008/11/21

鏡像

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鏡像は虚像か実像か?

こんな事を考えていて、ふと思った。

人が見ていると思っているものも、結局は眼球のレンズが映し出す光を網膜が受けとり、後頭葉の視覚野で処理されたものを過去の記憶と参照して物体として認識する(感じている)にしかすぎない。

見えている物体が実在すると信じているだけだ。本当に実在しているかどうかを確認するのであれば、例えば触れてみて脳の受けとる情報を増やし、実在するものであるという可能性を高めていく事が必要になる。

例えば、夢を考えてみたらわかりやすいかもしれない。目を閉じているのにもかかわらず、おそらく脳の後頭葉の興奮が、一定の象を知覚させている。それを虚像であったと気づくのは、多くは、目が覚めてからだ。

そこに視覚的に存在するものを、実在すると感じたり虚像だと感じたりすることは日常的によくある事のように思う。

もともと、知覚は安定しているようで、非常に不安定な要素を併せ持っている。その不安定さが、新しい学習を可能にしているような気もする。

そこが、失認と言われる障害を理解しがたくしているのだろうと思う。

身体の内的環境と外的環境の要素の組み合わせによっては、色々な場面で様々な認知のシステムが不安定に絡み合いながらひとつの結論である知覚・認知に結びついているのであって、ひとつの感覚要素で理解しているわけでは無いだろうし、不安定なものであるという認識を接する者たちがもっていないと何かを見落としてしまうのでは無かろうか。

ひとつの物体を認識するシステムとして考えられるものは、

固有受容覚システム
表在覚システム
視覚システム
嗅覚システム
聴覚システム

などがおおざっぱに上げられるのだろうが、状況に応じてオーバーラップしたり、、メインのシステムを切り替えたりしながら知覚にたどり着くのではないか。

2008/11/10

出張帰り

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家に着いたら、もう月曜日。

お腹すいたから、なんか食べて寝なきゃ・・・・

2008/09/19

内包

内包膝部から後脚の情報に比べると、前脚の情報はかなり少ない。

で、調べたことの覚書。

・その外側部を前視床脚、内側部を前頭橋路が通る。
・前頭葉と視床内側核、および視床前核と帯状回前部との連絡線維を有す。
・前頭橋路:前頭葉より起こる皮質橋伝導路。橋小脳路によて対側の小脳に連絡、歩行・発語・書字などの運動調節にあずかる。

・内包膝は屈曲部で、ここを皮質核線維が通り、その外側を皮質網様体線維が走る。ということは、内包膝部が壊れているとp APA'sが利かなくなるのか・・・

橋は小脳との中経路でもあるから、前頭葉での様々な情報、起こそうとした行動やそのときに生成した運動のプラン、プログラミングを小脳に参照する情報としてとして送っているのかなぁ。・・・調べてみたらどうやらそうらしいぞ。

徐々に姿勢制御に関わっているかもしれないし・・・

運動前皮質から橋に向かう繊維はどこを通っているのだろう、膝部に皮質網様体路とかいてあるから・・・とおもってはたと気が付いた。個人差が結構あるかもねぇ。

一部の情報には、内臓への下行性繊維と内臓からの上行性繊維もあるらしい。

何を調べたらもっと詳しく経路がわかるのだろう・・・・

2008/09/04

気が重いこと

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担当しているお子さんの、お母さん。

「今度、通っている園の人が(僕に)来て欲しいといっておられて、園におられる○○先生(医師)も話がしたいようでしたし」

と話があった。以前、この、○○先生から電話でお叱りを受けたことがある。
なんでも、○○先生が診断したことに、僕が口を出したことになっていたらしい。

そんな気はなかったし、そんな風にとらえられるのは心外であった。だけどその時は、その子に対する療育のkeyになる人が誰なのかわかりにくかった時期でもあったので、○○先生がリーダーシップをとる気なのだろうと考えて反論は一切しなかった。

それからは基本的には病院に来られて園の中での話があっても、それに対してのコメントはできるだけ避けて、その子の反応を積み重ねるようにアプローチをしてきた・・・のに。

今度は呼び出しですか。

別に、その子のためになるのなら行ってもかまいませんが・・・。

話し合う気がなくて、ただ、会話の中から上げ足をとるように怒られるのは不快なものですよ。

いずれにせよ、この子が学童期に入れば病院でのアプローチは困難になります。○○先生がリーダーシップを取られるのが現状では最善であるという事実はわかっています。全く異論がありません。

ですから威嚇するようなことはやめて頂くと喜びます。

当方、気が小さいもので。(^_^;

2008/07/09

ちょっとした怪我

  左手の手根骨、小菱形骨の骨折をしてしまった。

そもそも、靱帯が強固に安定させているところでもあり、骨折から思い浮かべるような痛みはない。

腫れが出ていることと、手関節の屈曲時にはさすがにいたくて力が入らなくなるのがちょっと問題だろうか。整形外科の医師からは固定すると仕事がしにくくなるだろうからこのまま行こうかといわれたので、動かしても転移が起きそうな部分ではないという判断で良いのだろう。

現状では炎症を起こしているため微熱が全身症状として出ているので、仕事は有休を頂いている。

で、面白いことに少し気がついた。

仕事場で浮腫を起こしている手を見ると浮腫を引かせるようにアプローチするのが関節の可動性を上げるための早道だと思っていたのだけれど、自分の手の浮腫を今徹底してひかせようという気がしないのだ。

何故かはだいたい理解できている。

骨折して痛みが出る。で、手が使いにくくなるのだけれど、浮腫が強くなる経過の中で手の使用時の痛みが減弱した時間があったからだろう。

僕の手の感じでは、手の限られたコンパートメントの中で浮腫が起こってくると、その内圧によって小さな骨の骨折による異常な可動性が押さえ込まれているような感じなのだ。で、多少の動きではあまり痛くなくなる。当然、その範囲を超して動かすと皮膚の突っ張りや動きに対する関節のアライメントの異常が出て、より痛くなるのだが、動く範囲での痛みは減る。そんな感じだ。

だからといって浮腫を長期的にほっておくと循環の異常や筋、神経、血管系への圧迫などから他の弊害が出てくることは容易に想像できる。

で、今していることは、浮腫の減弱のコントロール。

浮腫でぱんぱんになっている手は動きが乏しくて利用できない。

浮腫を必要以上に減らすと関節がルーズになって痛みが増強しそうだ。

で、その合間の状態を維持して動きを出していく。

すると、腫れていても意外に使える状態になる。

いってみれば関節の痛みを減弱させるための自律的な固定方法としての浮腫という考え方。

臨床的に使えるかどうかといわれると、RSDなど他のファクターが入ってくる場合なども多そうだし、何よりも自分の体のように相手の動きと動いたときの感覚を理解しないといけなくなることを考えればなかなか難しそうではあるけれど・・・

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写真は関係ないけど、文字だけだと寂しそうだから・・・(^^;

2008/05/17

派閥?

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職場内に派閥があると聞いてびっくりした日

僕らの存在は、患者さんをよくする事が目的で、職場内でグループを作って争うのが目的では無かろうと思うのだが・・・

追記:後で聴いたら、ただいきたくないだけの様子。派閥はやはり無かった・・・(笑)

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